目覚まし機世界旅行
北川の場合
「おい。おきろ。晩御飯を食べにいくぞぉ〜」
不意に目覚ましから響く北川の声に我を忘れて飛び起きる。
「ちょっとまてぇぇぇ!!」
慌てて飛び起きる。
ここは俺の部屋。
まわりには北川はいない。
「ほっ…」
思わず安堵の息を漏らす。
これで北川が隣で寝ていたら腐女子向け18禁の世界のところだった……。
とりあえず、目覚ましから聞こえてくる北川の声を止めてから着替える。
「そうか。今日だったな。北川とラーメンを食べに行くのは」
ここで、ふと気づく。
「俺…北川に声を入れてもらった覚えなんて……ないぞ……?」
たしか、体育の時間だったと思う。
「なぁ、最近面白いラーメン屋ができたんだが知っているか?」
「ほほう。どんなラーメン屋だ?」
ソフトボールで打順を待つ間の何気ない雑談。
だいたい、この手のニュースソースは北川に適わないので俺は聞く側に回っている。
「名前からしていかがわしいぞ。『機動屋台中華反転マークU』というそうな」
「……それは名前からしていかしすぎていないか…?」
「たしかに…」
素晴らし過ぎるネーミングセンスに俺は露骨に懸念を表明し北川も苦笑を隠さない。
「けれどもここのラーメン屋はすごいぞ。
無理無理にチューンした軽のバイク屋台でラーメンを運ぶ進出来没のラーメン屋だそうな」
「そりゃ一見の価値はあるが…本当に来れるのか?」
何しろ俺達の住んでいる所は北国。雪と氷が容赦なく二輪を襲う。
「店主もそう思っていたらしいんだ。
ところが、全国放送の企画番組があったろ?自転車で南から北へ猛スピードで行くやつ」
「ああ。あれか!」
こっちでは、タイムラグがあるので前に住んでいた街の友人と話がかみ合わない事といったら…地方の弊害である。
「あれをその主人が見ていてな。『寒冷地使用のタイヤ』というものを知ったわけよ。
それで、ここ北国の地方都市にも進出が可能になったというわけ」
「……なるほど。すごいな……」
このときの「すごい」はそんなものまで使って北国を走破した自転車の企画と、その企画をみて北国進出を決意したその屋台の主人に50:50ぐらいで言ってみた。
「というわけで、食べにいかないか?」
「そうだな。名雪達と一緒に行くのもいいかもしれないな…」
俺の一言に露骨にため息をつく北川。
「何を言っているんだ!相沢!!
俺達二人で食いに行くといっているんだ!俺は!!」
「何が悲しゅうてお前と二人でラーメンを食べないとならんのだ?!」
俺の罵声に北川は爽やかに指を三つ折る。
「一つ。あの水瀬さんを連れて行ってみろ。百花屋に変更されるぞ」
「うっ!」
北川の説明に反論できない。
何しろ名雪だ。あのイチゴ狂いの事だから間違いがない。
「二つ。初めて行った店で何かトラブルが起こってみろ。男として株を下げるぞ」
「なるほど。下見は気心が知れた友人と、で本番は香里でも誘うというわけか」
「流石は相沢屋。よくわかっているのぉ」
「いえいえ。北川様には適いませぬ」
二人して「ふっふっふ」と笑う辺りやっぱり俺と北川は息が合っているのだろう。
「じゃあ、最後の三つめは何だ?」
何気なく聞いた俺の言葉に打順が回ってバッターボックスに向かう北川は明快に答えた。
「ああ。その店席が二つしか無いんだ」
というわけで、俺と北川はそのラーメン屋『機動屋台中華反転マークU』でラーメンを食べている。
「うん。うまいな…」
「たしかに…」
秋子さんも中華を作ってくれるけど、あの人の中華料理は上品過ぎていけない。
例えるなら満願全席みたいな。どっから出してきたといわれる材料といつ作ったと思われる調理時間の短さ。
どこかの料理の対決番組に出ても勝てるあの実力はすごいと思う。
けど、育ちばかりの学生には脂が浮いた豚骨スープとかこれでもかっていうぐらいのニンニクを入れた醤油ラーメンが必要なのだ。
……本気で名雪達を連れて来なくて良かったと思う。
「しかしメニューも凝っているな……なんだ?このひまわりラーメンというのは?」
俺の質問に先に北川が答える。
「なんでも主人の弟の友人が考案したらしいが、見た目の割には卵の味しかしないとか。
けど、けっこう注文が多いメニューだそうな」
「ちゅーか、何でお前がしってんだ?そんなこと?」
怪訝そうにたずねる俺にあっさりと一言。
「その考案者ってのが俺の友人でな。そいつから聞いた」
納得。
そんなやりとりをしながら勢いよく麺をすすっている俺のどんぶりにぽちゃんとチャーシューが落ちてくる。
「あれ?俺焼き豚頼んでいないですよ?」
ライダースーツの上にエプロンをつけた店主は菜ばしを「サービス」という形に動かした。
「あ、きったねぇー!
相沢だけ贔屓だ贔屓―!」
「……」
北川に向かって菜ばしを「またこんど」と動かす店主。
「ちぇ…サービスは一日一度だけだもんなぁ。
いいよ。今日は相沢に譲ってやらぁ!」
「そうなのか?よかったら譲るが?」
「分かってないなぁ。相沢は。
俺が欲しいのは焼き豚ではなくて、その一日一回のサービスが欲しいんだ」
「そんなものなのか?」
「おぅ。人ってのはそういう小さな差にこだわりを持つものなんだよ」
減らず口を叩きながら替え玉を頼む北川。
そうして、ラーメンな夜はふけてゆく…
「なぁ、北川。一つおかしな事を言うけど」
俺が二杯目。北川が三杯目の替え玉を注文した頃、俺はふと気になっていた質問をする気になった。
「誰かに目覚ましに行きたい地名を吹き込んで、朝起きたら吹き込んだ奴と一緒にその吹き込んだ場所になっていたって言ったら信じるか?」
「――――――」
む、と目を細める北川。
こいつの凄い所は、一秒前まで馬鹿話をしていても本気と冗談を読み取れる所だ。
「信じるも何も、俺は相沢じゃないから答えられないな。
……まぁ、デジャヴュとかそういったものならたまに見るけど」
「うーん。俺も最初はそう思ったんだけど、どうデジャヴュとかとは違うんだ。
あれは、夢で見た出来事を現実に迎えた瞬間に、『ああこれ、夢で見たな』と思うことだろ?」
「そうだな。既に知っている感覚、つまり既知感だ」
「そこが俺の場合は違うというか…
こっちは、しっかりその場所に行っているし、行った証拠に向こうで買ったものなんかまでこっちに持って帰っている」
現に、名雪と行ったヴェネツィアなんか。ハンカチとワイングラスが我が家にやってきている。
(おまけに、いつ、誰に頼んだのか覚えがない。しかも、頼んだ女の子が俺の隣で寝ているということだ)
という台詞はラーメンと共に胃の中に押し込んだ。目覚ましの北川の声を聞いたときの恐怖なんぞという笑い話など提供する必要もない。
「問題なのは、それで帰ってこれるというところなんだ。
部屋で寝てて、目覚ましで知らない部屋で起こされて、また朝がきたら元の部屋なんだ。
どうやって移動しているんだろうな?」
「――――?なんだそりゃ、まるで『どこでもドア』だな」
「そうだな。そう考えたくなるぐらいよく分からないんだ」
「へぇ…またおかしな夢をみてるな。相沢も」
「ああ。変わった夢だろ」
北川の箸が宙に止まってほづり。
「俺はあれだね。ここ最近の事をよく夢に見るね」
そのまま箸を置いて、すずーっとどんぶりをあおる北川。
「最近の事?」
「おぅ。さっさと忘れたいんだけどな。夢に見るものはしょうがない。
誰かがこの街へ越してきたから、いろいろと起こった騒動やらとか……いろいろあるな。トラウマってのは」
「トラウマ?悪い夢なのか?」
合いの手を入れながらふと考える。
悪い夢。考えた事も無かったけど、今の自分が置かれている状況が悪い夢というのも頷けなくは無い。
たとえ、他人が見て「何処が悪い夢なんだぁ!」とつっこみたくなる状況ではあるのだが。
「んー。トラウマっていうか、異性に対する恐怖というか。
俺は同い年のやつよりその辺りの覚悟だけは別格だと思っていたんだ。
だからまぁ、人より何かを理解したつもりで人に優しくできたわけ」
どんぶりを置いて箸をもてあぞびながら語る北川だが、確かに北川は同姓異性問わず人気がある。
「そんなときに、自分以上にイカれているやつとクラスが一緒になっちまってさー。
まぁ、いろいろと衝突したわけですよ。
それでまぁ、人間ってのは何も分かっていないと。
知ったつもりになっていただけで、本当はまだまだ未知の領域があるということを否定していただけだったんだと気づいたわけだ」
淡々とした台詞の中に隠された北川の俺に対する憧れと嫉妬に気づかないほど俺は馬鹿ではなかった。
俺が気づいたのを北川は確認してから、間を取るように箸を置いてゆっくり主人を見つめて一言。
「おかわり。
まぁ、そういったことを夢に見る。あれはあれでいいのかもしれないな」
おかわりから先は俺に向けて発せられた言葉で北川の告白は終わった。
ほんの数ヶ月前の話。
俺が多くの奇跡を望んだ一つに美坂栞という少女がいた。
俺は栞の為に奇跡を信じ、その結果栞は救われた。
問題は栞には姉がいたこと。
その姉の名前を美坂香里という。北川とつきあいがある少女だった。
俺は栞を通じて美坂香里という人間を深く知ってしまった。
それは、香里を俺よりも知っていたと思っていた北川にとってはショックだったんだろう。
だからこそ、北川の告白に今度は俺が答えないといけない。
同じようにラーメンの汁を飲み干してからゆっくりと言葉を吐き出す。
「……そうか。
こっちも関係ない話になるけどさ、北川と同じクラスになったやつ?
そいつも、同じ事考えているよ。きっと」
「へへ〜。そいつは良かった。
ハーレムを作るぐらい将来有望なやつだから、恩を売っとけば役に立つ」
ひひひとおどけた笑いを見せる北川。
(――――――ああ、確かに恩に着ている)
このクラスメイトがいなかったら、相沢祐一は転校してからの起こったたくさんの奇跡を無駄にしていただろう。
一人で悟ったつもりになって、外界を無視することで7年前の記憶から逃げて必死に自己を守ろうとして。
人生で一番輝いていられる、おそらくは無条件で青春を謳歌できる唯一の時間を子供の浅知恵で棒に振ろうとしていたのだから。
「じゃあ、俺からもう一つ聞くけどな。相沢。
お前、以前俺が聞いた質問の答えは今でも変わらないか?」
北川の目はいつもどおりで、ただその口調だけがひどく優しかった。
そんな声で問われたのはいつのころだっだろう?
彼女達の奇跡が終わって俺に日常というものが始まったころに起こった喧嘩の日か。
原因は俺にあったのか北川にあったのかは分からない。
奇跡の中にまどろんで優柔不断に過す俺が許せなかったのか、その奇跡を傍で見ることしかできなかった北川が悪いのか。
多分両方だったと思う。
春先冷たい夕暮れの河原。
俺たち二人は殴って、殴られての大喧嘩の果てのダブルノックダウンという形の結果だったがそれはそれですっきりしたのだと思う。
結局人間てのは全てを理解できるわけでも、許せる存在でもないという事が分かったし、似たような事を考える馬鹿がいるとわかっただけでも満足だった。
ただ、その後にした話だけは覚えている。
どうしてそうなったのか知らないが俺たちは告白の話をした。
近くない未来に一人の女性に結婚を申し込むときにどんな台詞を言うかという話。
「それだけは決まっている。
俺はしおらしく頭を下げて、『結婚してくれ』ってな」
北川の答えには理解できた。次は俺の番。
「俺は……」
ふと言葉に詰まる。
そりゃそうだ。自分で気づいてしまったのだから。
「どうしたんだ?相沢…?」
「悪い。その台詞はもう彼女達に言ってしまった」
そのときの俺の顔はよほど北川の印象に残ったらしい。
後で聞くと、とんでもなく満ち足りた顔でいったそうな。
大爆笑の果てに『こいつのところで奇跡が起きた理由がやっとわかった』とため息混じりに言われたのだからよほどの顔だったのだろう。
「どうも変わっていないみたいだ。
そういう北川はどうなんだ?」
「あー。実は俺も変わっていない」
「なんだ。お互い進歩が無いな」
「ハッ。付き合いは短いのにここまで来るとドロドロの腐れ縁になりそうだな。
手を切るには殺すしか無くなってそうだ」
北川のその言葉に感慨――奇跡が無ければ永遠に自分を縛り付けたであろう、今輝いている彼女達を思いながら――を含んだ声で反論する。
「何をいっているんだ。
死んでしまったら縛り付けたまま一生手が切れないぞ」
「――――――」
北川はポカンと口をあけたあと。
「違いない。おまえのそういうトコ、おっそろしいよなぁ」
心底おかしそうに笑い声をあげた。
「ひぃ…はぁ、いやー笑った。
こんなに笑ったのは今日の昼以来だ」
「凄い台詞だな。安っぽいにもほどがある」
多分俺も同じように笑っているのだろう。
ふと向こうを見ると屋台の主人もおかしそうに笑っている。
聞くと、「同じような話をこの間聞いた」そうだ。
ただ、向こうは色恋沙汰というより生死に関する話だったらしいが。
最後に、その二人は『人間なんてラーメンみたいなものだ』と言ったらしい。
その心は『熱いとおいしい。冷めるとゴミ』ときた。
その話を大爆笑しながら聞いて、思った。
確かにその通りだ。
ラーメンは熱いうちに食べないと。
そして、ラーメンを食べるのならば友と。
人生を肴にしながら食べるラーメンほどうまいものはないと。
それ以来、時々名雪達を外して北川とここにラーメンを食べに来る。
名雪達にはできない男同士の話をしたいときにこの店にやってくる。
名雪達は嫉妬するけど、この味とこの話は親友にこそ相応しい。
そんな男達の友情を道楽として今日も『機動屋台中華反転マークU』は日本のどこかを走る。
ちょっとした解説。
「歌月十夜」のパロディです。
有彦と志貴の会話シーンが好きで、こういう男の友情というのをそのまま北川と祐一に変えてみました。
いくつかの設定変更とかがありますが、つくづく思い知ったのが「歌月十夜」の完成度の高さ。
パロディの元が高いから話の完成度が違うし、こちらが手を入れた場所が帰って下手に見えてしまう。
自分のレベルの低さを思い知った作品でもあります。
いつか志貴達と四人で『機動屋台中華反転マークU』を書いてみたいかも。
ちなみに、この時に電波少年をやっていたので知った雪国専用タイヤの存在。
北国おそるべし……